三島市の鎌倉街道(古道)について |
三島市は、富士山麓から湧き出る清水に恵まれ、市内いたるところで湧き水が見られる。三島市が作成した「平安・鎌倉古道」の 解説によると、東に箱根山麓を控え、古来は北の足柄路が利用されたが、延暦二十一年(802)正月、富士山の大噴火で足柄路が ふさがり、そのため三島大社から元山中をとおり芦ノ湖の南岸に出て箱根町へと抜ける「平安鎌倉古道(街道)」が開かれた。 翌年、足柄路は復旧され再び、官道として通行できたのであるが箱根路は険しいが、距離が短いなど便利なため多く利用された。 このホームページの街道探索の道案内としてきた鎌倉時代の三大紀行文は、海道記は足柄路、東関紀行及び十六夜日記は箱根 路を通っている。 海道記では、「岩が根高く重なりて、駒もなづむ(難儀)するばかりなり」、十六夜日記は「・・・いと険(さか)しき山を 下る。 人の足もとどまりがたし(非常に険しい山を下る。 人の足も止められない急坂である)」とリアルに表現している。 江戸時代に入り、ほぼ平行した東の近距離に箱根旧道(近世・東海道)が作られると、利用する者はほとんどいなくなり、地元の人々が 通るだけになった。 (関所管理の理由からも古道の情報は出なくなったと思われる) このため、中世の街道は人々の記憶から忘れられていたが、平成二年七月、ゴルフ場建設にあたり元山中の一部を発掘調査した ところ出土品から「平安鎌倉古道(街道)」が確認され、以後、三島市により復旧整備及び啓発資料の「平安・鎌倉古道」のマップ類の 発行が行われている。 この鎌倉街道探索の旅は、三島市のソフト・ハード両面の成果が無ければ中断していたかもしれないので、 感謝の気持を表記したい。 参考資料 〇「静岡県歴史の道・東海道」・平成6年発行静岡県教育委員会 〇平安鎌倉古道・三島市教育委員会 |
三島市内の鎌倉古道(鎌倉街道) |
箱根西坂 |
平安・鎌倉古道について 扇平分岐に設置されている説明版(平成4年11月設置)及び三島市教育委員会が作成・配布されている「平安・鎌倉古道マップ」に 街道の歴史概要等が記載されているので、下記にご紹介したい。 また、街道遺構を歩いたのは、平成29年7月27日に東部の芦ノ湖 カントリークラブから下る行程の一日である。 ここでは紀行文の行程に合わせ、西の都から鎌倉に向かう行程で進めている。 箱根 西坂を下から進む形で説明を試みたが撮影方向等無理があるので、西(下)から探索するまで暫定措置として、逆の行程になっている ことをご理解いただきますようにお願いします。。 復元された平安・鎌倉古道 平安時代、箱根越えの道は。現在の長泉町・裾野市・御殿場市をとおり足柄峠を越える足柄道でした。 延暦二十一年(802年)正月、富士山の大噴火で足柄道がふさがり、そのため三島大社から元山中をとおり芦ノ湖の南岸に出て箱根町 へと抜けるこの「平安・鎌倉古道」が開かれた。 翌年、足柄道は復旧され再び官道として通行できたが、「平安・鎌倉古道」は険しいが距離 が短いなど便利なため多く利用されたようだ。 鎌倉時代『十六夜日記』の作者(阿仏尼)は「二十八日に三島の国府を出発。 足柄越えは、遠道になるので箱根路をとおることにして、 山道にかかった」とこの道をとおったことが書いてある。 江戸時代に箱根旧道(近世東海道)がつくられると、この道を利用する人はほとんどいなくなり、地元の人々が通るだけになった。 (箱根関所以 外の通行は関所破りの重罪)このため忘れ去られた街道となっていた。 平成二年七月、ゴルフ場建設にあたり元山中の山ノ神神社南側を発掘したところ、中世の古銭や銅製品、陶器などが出土し、平安鎌倉 古道が確認された。 これを契機に三島市による古道の復旧及び道しるべ等の整備が行われている。 <三島市役所の資料によれば、入口から三嶋大社まで11.2q 所要時間(下り)約4時間とある> この古道を歩きながら平安・鎌倉時代の旅を偲んでください。 平成四年十一月 三島市教育委員会 *注 緑色の普通文字は作者の加筆 |
ゴルフ練習場 <三島市川原ケ谷> |
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ゴルフ練習場の道向かいにある 目印となる指導標が右のフェンスの裏にあり分かりにくく、小さな 道なのでご注意。 市清掃センターの入口が左にあれば、正しい 道順であると確認できる。 直ぐに視界が開け小沢分岐となる。 |
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街道入口<三島市上元山中> |
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街道遺構 <三島市佐野> 檜林の中を進む広く平坦な街道遺構 |
最初の林道交差箇所 <三島市佐野> |
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街道遺構 <三島市佐野> |
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古道 <三島市佐野> 入口近くの風景。 左右が窪地となっている尾根状の安定した 街道遺構。 |
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