東三河のお祭
鎌倉街道の探索の足を延ばし、平成19年、20年に東三河地区をウロウロした成果として、珍しい東三河のお祭りを見学
することができました。
西三河と海部地区の祭りのページを作成・公開した後、愛知県内の主な祭りを紹介できれ、良いなと思うようになりました
。東三河にも古い歴史と多くのお祭りがあり、現時点では全てを紹介することはできませんが、先ずは、第一歩として見学
した代表的なお祭りを紹介します。


 
 御神楽(みかぐら)祭り(花祭)・・国指定重要無形民俗文化財
愛知県北設楽郡は、愛知県の最奥部にあり山深き里ながら、中世より東西の文化が行き交い、永い年月にわたって独特の文化が行き交い、
永い年月にわたって独特の伝統芸能が蓄積されてきた。 その代表が、旧暦霜月(11月)に行われる花祭りです。
当地の花祭り研究者である山崎一司さんの著書「隠れ里の祭り」によると祭りの起源は、古代からの山岳信仰(神奈備
(かんなび)に熊野修験者が
先導・導入したと解説されている。 その後、秋葉山を利用した白山信仰、伊勢信仰の影響を受けたが、明治時代初期の修験道禁止及び廃仏
毀釈により伝統的な神仏混合の祭りから仏教色を無くしたのが現在の形態としている。
豊根村富山大谷地区の祭りは、共通の花祭りですが、「御神楽(みかぐら)祭り」と称されいる。 祭りは、「湯立て神楽」と「演能」で構成されている。
「湯立て神楽」の源は証明されていないが、熊野修験者によるものと推定されている。 なお、当大谷地区の「湯立て」は、他の地区のように村人
たちに振りかけることなく、神様に捧げる、村人たちを清めるように厳粛に行われる。
「御神楽祭り」の特色は、舞手が舞を舞うことによって神が宿り、身体の再生と新たな魂の授与が果たされるものとし、激しく踊ることである。 床を
踏み鳴らした力強い跳躍と旋回が何回も繰り返される。 この基本の舞が、「御神楽」と呼ばれることから、村人は氏神の祭りとして「御神楽」と呼
称してきたが昭和10年代にこの祭りを訪れた研究者によって「御神楽祭り」と呼ばれるようになり、現在の名称が一般化したという。
・・・山崎一司著「隠れ里の祭り」より
とよねの祭り(豊根村教育委員会)チラシです。
神招ぎ<宮清め>・・・「湯立て」です。
降臨した神々に湯を献じる。
神招ぎ<式の舞>・・・神降臨の場と神を祀る。
精進潔斎した舞人自身が神の宿り給う神座
(かむくら)となるために
舞う。 この後、権現の湯など12の式が挙行される。
演能<鬼人(きじん)>・・・村人に新しい魂を与えにきた祖霊神
である鬼人が舞う。
     
演能<兄弟鬼>・・・兄弟の鬼が舞う「鬼の舞である
二日目(1月4日)に天井にあるタカラ=白幣=祭りに降臨した神々
がとどまる依り代が切り落とされる
  演能<禰宜とはなうり>・・・禰宜面は、翁(白尉)で村人に
祝福を与えに来た神という。
左後「はなうり」は黒尉と呼ばれる翁で鼻をつまんでは村人に
投げつけ、跳びはねる。 威勢盛んな神の精気を村人に与える
演能<しらみふくい&女郎面>
・・・最初に右の「しらみふくい」一人が登場し、体のほうぼうを
しらみがおるごとく面白可笑しく掻きながら、一巡し、囲炉裏の
傍で虱を取る。
そのころ、遅れて美しい女臈が登場し、祈りながら一巡するころ、
しらみふくいが見つけ恐る恐る近づき袖を引いたり、触ったり
するが、やがて後見人から渡された提灯を持ち、女郎面の手を
引いて退場する
。 この舞は、しらみふくいの道化かかる様を
おかしく演じて、能楽成立以前の猿楽能の姿が再現されている
会場は熊野神社本殿に隣接した「舞処(まいと)」です。
1月4日午後から深夜まで行われます。
山間の高地のため、夜間はかなり冷えます。










花祭(北設楽郡東栄町布川(ふかわ)地区)・・国指定重要無形民俗文化財 
 縁あって、県外のSさんからお誘いを受け、平成23年3月5日午後5時〜6日午前10時まで、仮眠をとりながら、一昼夜にわたる布川地区の
花祭りを見学することができました。 上段の花祭りの範疇にある御神楽祭りと異なる形態を見学することができました。
 そして、Sさんのツィーター仲間のKさんのご案内で御園地区の熊野神社の祭礼を訪問することができ、束の間の交流を楽しみました。
    舞処(まいど)の湯蓋 
     
    山見鬼(やまみおに)
 (舞処に登場する最初の鬼です。花祭りの原型といわれる
  江戸時代の大神楽では、山見鬼は浄土入りを目指す人を
  導き、白山(=浄土)を割り開く役割を持つとされる。)) 
     
 榊鬼(さかきおに)
 榊鬼は、花祭りの目的である「生まれ清まり」を実現するため
の呪法である「へんべ」を踏む唯一の鬼で最も重要な役鬼とさ
れる。 舞処で「改め役」の官人が榊鬼と、歳比べや榊の枝の
引き合いをし、いずれも人間に軍配があがる。
 これは、榊鬼が人が住む以前のこの山の住民であり、その主
から山の豊穣を分けてもらうという意味がある とされる。
  湯ばやし
祭が最大に盛り上がる場面です。 「生まれ清まり」を体現
する祭の仕上げに相当します。 降りかかる湯は生まれ清
まった人にとっての産湯とも考えられています。
 
この湯を浴びれば無病息災、健康に過ごすことができる
とされる。
  
     





鬼祭・・・国指定重要無形民俗文化財
鬼祭は、豊橋市にある安久美神戸(あくみかんべ)神明社の春祭として2月10,11日に行われる。 11日の本祭では、神社拝殿前の
舞台で田楽躍
(でんがくおどり)、鼻天(はなてん)の舞など田楽芸(豊作をお祈りする伝統芸能)が行われ、続いて、境内では赤鬼が天狗に
挑む「からかい」が優雅に展開される。 この「からかい」が、祭のクライマックスである。
祭の由来は定かでないが、地元のHP<鬼祭り@愛知県豊橋市>による解説をご紹介します。
「鬼祭り」は、日本の神話を田楽に取り入れたものである。 その神話によると、高天原(神が住まう世界=タカマガハラ)に荒ぶる神
<須佐之男命(スサノオノミコト)>が現れた。 荒ぶるは気性が荒く悪戯ばかり働いていた。 荒ぶる神の目に余る行動を見かねて、「武神」
<?>は、懲らしめることにし、闘いの中で荒ぶる神は自分の非を悟り、最終的には和解する形でその闘いは終わりを告げた。 荒ぶる
神は、自らの罪の汚れを白粉餅や穀物の粉で清め、罪を償った。 祭では、荒ぶる神が「赤鬼」となり、武神が「天狗」となり、闘いが鬼
祭りのメインイベント「赤鬼と天狗のからかい」である。 最後に、敗れた赤鬼は境内を出て町内を駆け回り、道行く人に白い粉やタンキリ
飴をふりまき(清め)ます。 この粉をかぶると夏病みしないと伝えられる

安久美神戸神明社 赤鬼と天狗のからかい<闘い>が境内で展開されます。
中央に見える天狗です。静的です。 反対に、活動的な鬼です。
     
 「からかい」の後、一旦、休憩があり、直ぐに天狗が町内を
駆け回ります。 ここからは、人形でした
  鬼が振りまいた粉で参拝者は、粉まみれです



雨乞い祭り・・・愛知県豊川市赤坂町関川〜紅川<旧東海道・宮道天神社>
宮道天神社は、昔から雨乞いの神社として知られており、江戸時代に大干ばつにみまわれたとき、宮道天神社に雨乞い祈願をしたが
霊験がないので、当時の神官金沢某が百万編の大念仏を修め、祈願したら大雨が降ったといわれている。 それ以後、8月の第3土・
日曜日に雨乞いの祭りがおこなわれるようになったという。 お囃子をのせた3台の山車やお神輿の渡御や歌舞伎行列が旧赤坂宿を
練り歩きます。 例年8月第3土日曜日<花魁行列は、日曜日の午後>

大提灯
メイン会場となる旧東海道赤坂宿付近での祭り当日の様子です。
歌舞伎行列や花魁行列と称される男性が扮する
町娘姿。
真夏のため、付き添い役が団扇で涼風を送っています。



  田峯田楽(だみねでんがく)(国指定重要無形民俗文化財) <昭和53年指定>
    愛知県設楽郡設楽町の高勝寺<田峯(だみね)観音>で、
450年以上続くとされる豊作祈願の「田峰田楽」が奉納された。
昔は、旧正月17日から翌日の未明にかけて行われていたが、
現在は2月11日の朝8時頃からの昼田楽、午後4時頃からの
夜田楽、午後10時頃からの朝田楽の三部構成で行われている。
昼田楽は、伽藍神を臨時に祀った額堂で「扇の舞」以下5番の
舞、夜田楽は、観音堂内陣で「当夜渡し」の後、「扇の舞」以下
22番があり、「鍬つくり」以下は豊作を祈願する田遊びである。
夜田楽に引き続き、朝田楽となり観音堂前の庭に篝火が焚か
れ、「庭固め」以下13番の舞や田楽が行われる。

平成23は、降雪のため昼田楽のみの見学となった。
24年、改めて訪問し、夜田楽、朝田楽の見学することができ、
このページを完成することができた。
  
     
高勝寺境内入口(平成23年撮影)   高勝寺右手(東)の額堂が田楽会場です。神職の開会宣言、
そして太鼓が開式の合図を告げます
     
服装の違いがあるように役割分担が決められているという。      午後4時から始まった「夜田楽」会場は高勝寺の本殿
     
田打ち
<太鼓を伏せて田に見立て、樒(しきみ)を叩いて、田植えを
します。 樒の葉が散らばり、周囲に香りが漂います>
   「魔払い」、「子守」、「飯持ち」、「汁持ち」が登場し
<ねんね様>に御飯を食べさせます

     
朝田楽<午後8時頃>
場所は、本殿と歌舞伎舞台前の舞庭です。
   「火伏せ」
頭にかぶり物をした者が焚火を蹴り上げていきます。
     
 「駒面」
禰宜(白い袴姿)が駒の面をつけ、羽織が手綱を引いて現れ、
観堂に向かいお参りをします
  「獅子」
三人で構成する獅子が舞庭の焚火を蹴り上げ、一周すると
田楽が終わります。 午後十時頃です。 





 若葉祭 <うなごうじ祭>愛知県無形民俗文化財 会場:豊川市市牛久保八幡社周辺
 豊川市牛久保町の八幡社の例祭は、春を告げる祭礼行事として 毎年4月8日に近い日曜日に「本祭り」、その前日に「宵祭り」が
行われている。 宵祭は、八幡社から北西約2キロ離れた天王社の獅子頭を奉迎し、本祭りにお返しする。 大山車以外で行列を
組み、神幸と呼ばれている。 祭礼は、牛久保地区の氏子が「上若組」「西若組」「神児(みこ)組」「笹若組」の四つの組に分かれて
行われる。 新聞報道等で、ヤンヨー神(がみ)と呼ばれる笹踊の囃子方が道路に仰向けに寝る珍しい写真が掲載されることが多い。
しかし、ご当地の住人で祭を案内していただいた柴田さんの解説によると
○隠れ太鼓(かくれだいこ)・・・「上若組」「西若組」の大山車の二層部分で煌びやかな衣裳の少年を、稚児だしと呼ばれる裃姿の大人が
 操り(からくり)人形のごとくあやつる人形舞で、笛や締太鼓の囃子にあわせて大太鼓 を打っては欄干に隠れることからこの名がある
 という。 演じ手の少年が欄干から逆さに宙吊りになる動きは人間とは思えない迫力を感じる。 (この隠れ太鼓には、稚児だし以外
 に少年の足を支える人もいます) 尾張や飛騨高山の山車カラクリしか知らない私には初めて見聞することばかりです。
○ヤンヨー神(やんようがみ)・・・笹若組の笹踊の囃子方であるが、踊りから離れた後方で数人一組で笹踊の唄を歌いながら仰向けに
 寝る。 係のものが起こすまで勝手に起き上がってはいけない習わしがある。 諸説あるが、若葉祭の通称「うなごうじ祭」の語源が、
 寝転ぶ様が「蛆虫(うじむし)に似ている」と豊川市役所のHP等なでは紹介されている。
○笹踊り(ささおどり)・・・笹若組のメインの出し物である。大陸風の煌びやかな衣裳に笠を被った三人がヤンヨー神と呼ばれる囃子方
  の唄に合わせてダイナミックに踊る。朝鮮通信使との関係(影響)があるとされている。
○神児舞(みこまい)・・・「神児組」メインの出し物である。金の冠に水干緋袴と巫女風の衣装をきた男児が笛や太鼓に合わせて舞う。
  八幡社及び御旅所の天王社の拝殿で舞を奉納する他に、神見車に乗り神幸に随伴し会所の前などでも舞う
○三つ車(みつぐるま)・・・若葉祭本祭の最後の行事である。鳥居奥の大山車二両に加え、神幸を終えた神児車が鳥居の正面に据え
  られ、入口西側に囃子車二両が納まり、早い調子の囃子が流れ、その間を各組のダシ馬簾(ばれん:まといの周囲に房状に垂れ
  下げた飾りがついたものに上部に金箔の飾りがついた、たてもの)が衝き廻しを行う。 最後の組である
  笹若組のダシが鳥居前に立つと祭事長が提灯を高く掲げ、その合図と同時に大山山車と神児車のダシ持ちがダシを衝き廻して
  三ツ車の敬礼を行い、引き続き、笹踊が各組に対し踊られる。 三ツ車の行事が終わると各組のダシが会所まで全力で走って帰る。
  午後8時30分〜午後9時頃までの行事であった。 牛久保の柴田さんのアドバイスとご配慮で、最高の体験ができました。
 ありがとうございました。
 なお、このページを作成するにあたって若葉祭のホームページ 及び「あいちの祭り行事」(平成13年愛知県教育委員会発行)を
参考にさせていただきました                                平成24年4月8日見学
     
若葉祭平成24年ポスター    会場の牛久保八幡社(午前11時頃撮影) 
     
神幸に参加している神児舞(みこまい)は、各会所の前で
舞を披露する 
  笹踊も同様に舞を披露する。 笹踊りの見せ場は、跳び
はねる場面である。
     
ヤンヨー神(やんようがみ)。 起こしてもらうまで、寝ている。


 
  終盤では鳥居前で笹踊が披露され、大山山車と神児車の
ダシ持ちがダシを衝き廻して三ツ車の敬礼を行う。 三ツ車
の行事が終わると各組のダシが会所まで全力で走って帰る。
午後9時過ぎであった。