中区・昭和区・瑞穂区の鎌倉街道
 
中区・昭和区・瑞穂内の鎌倉街道 
     
東別院古渡城趾 <中区橘2>
東本願寺を本山と仰ぐ、同派の別院。 元禄3年(1690)、尾張藩
第二代藩主・徳川光友より織田信秀の居城・古渡城の跡地約一
万坪の寄進を受けて建立された。
ここは、天文3年(1534年)、織田信秀が東南方に備えるために
築城した城であった。 信秀は今川氏豊から奪った那古野城を、
嫡男吉法師(織田信長)に譲り、この城を拠点とした。
  古渡城趾 <東別院内>
「別院てづくり朝市」が開催されている。 久しぶりに見学すると、
参加者が境内からあふれるばかりの多くの参加者であった。
また、西別院が加わり、にぎやかなまちづくり活動となっている。
左の写真は、人気(ひとけ)がない平日の様子である。 寺院への
ストレートな反応はないかもしれないが、壁を低くし、距離を縮めて
いることは間違いない。 先が楽しみである。(19.4撮影)
     
東別院・西別院周辺のまちづくり活動
画像の小冊子は、15.3・28開催された親鸞聖人750回御遠忌
法要の当日配布されたガイドブックである。 法要始め朝市や
子供遊びなど種々の行事が企画実行された。  
スタート時に見学し、たくさん写真を撮ったが、今は見つからなく、
ガイドブックで代用し報告します。
  葉場公園<中区平和>
 公園と北に隣接する平和小学校から東方を望む。
この先は、中世以前は入り海で御器所台地まで舟で渡った場所と
推定されている。 勾配が下がっており、入江の雰囲気を感じる。
     
瑞穂台地から年魚地潟跡を望む
浄元寺前から西方の古代年魚地潟後の精進川跡を望む。
台地の西方に位置する関係で西勾配となっている。
  清澤山 浄元寺(せいたくさん じょうげんじ)<昭和区村雲町>
曹洞宗、龍福寺の末寺。永禄年間(1558〜1569)の正躰浄元を
開祖とする。 04年5月訪問時の住職は、茶道賣茶(ばいさ)流の
家元でもある。 御庫裏様には、親切に鎌倉街道についてアド
バイスをいただきました
 
     
延命地蔵と亀口の泉
浄元寺西側にある。御器所三泉のひとつで、精水の湧き出る
水口が亀にいていたことから「亀口の泉」と呼ばれていた
右に延命地蔵が祀られている地蔵堂がある。
  御器所(ごきそ)八幡社<昭和区御器所4>
草創は嘉吉(かきつ)元年(1441)で御器所城主佐久間美作上に
よる創建とされる。 御器所とは、熱田神宮に奉納した土器を作
ったいたことに因む。 ここでも宮司親子から街道についてお教え
いただくが、一世代以前は話題になったが、現在は余り知識が
無いとのことでした

社伝によると仁明天皇(平安時代)勅願社と伝わり、熱田神宮の
鬼門除けの神として創建された。 熱田から眺め、叢原の彼方に、
うっそうたる樹木に覆われる美しい丘陵地帯を、畏敬の念を
もって「叢雲」
(むらくも)の里と云ったという
     
尾陽(びよう)神社<昭和区御器所2>
尾張藩祖義直と14代慶勝を祀る社で、大正11年(1922)6月、
名古屋開府300年を記念して創建された。
この地は、嘉吉年間(1441〜44)の頃、佐久間家勝が築城した
「御器所西城」の跡であるといわれる
  御所屋敷跡<昭和区御器所3>
左奥に小さな社があります。社の前に名古屋市教育委員会が
設置した案内板があり、天保年間(1830〜44)の藩選「尾張志」に
御器所古老伝説として、秀吉の母出生地とあることから御所
屋敷跡といわれるようになったと紹介している
     
大澤山西福寺(だいたくさん さいふくじ)<昭和区円上町>
浄元寺と円上中学校の中間に位置する。右が第一村雲幼稚園で
子供たちの元気な姿が見える。
この道路の東に寿栄寺があり、中間の道路に名古屋市設置の
史跡巡りの案内板がある。
  箸蔵寺(はしくらじ)名古屋別院<昭和区円上町>
大正5年、徳島県の箸蔵山金比羅大権現の名古屋別院として
設立された。 水と船の神様である四国金比羅山の奥の院に
ある箸蔵寺の分院である
 瑞穂区内の鎌倉街道
     
大法寺・大法寺愛児園<瑞穂区雁道町>
左奥に
鎌倉街道の東、雁道商店街の一角に位置する真宗大谷派の寺院
である

  大悲堂<瑞穂区豆田町>
通称「蛇塚(じゃつか)」。清掃していた人に謂れを聞くが、庵主様
にも詳しくは不明との説明でした。
都会の中であるが、何か不思議な雰囲気を感じます
     
直来(なおらい)<瑞穂区直来町>
高田小学校北側に位置する。嘉永2年(1181)、木曽義仲は義経
との争いに敗れ、敗走の途中、同行の桂姫ができものに苦しみ
ながらこのあたりで亡くなったことから、後で「できものの神様」と
して祀られた。
  田光(たこう)八幡社<瑞穂区大喜新町>
延暦元年(平安朝前期今より1220年前)熱田神宮大内人守部彦正
(大喜氏)が八幡社を勧請し社を建てたのが始まりと傳えられる。
延久年間(1069年-1074年)、守部第十九代彦正が八幡社を勧請した。
別宮白龍社の御神体となっている楠は弘法大師お手植えの由緒を
もつ樹齢千有余年の巨木で、根には白蛇が住んでいると伝えられる。
同じく境内にあるやや小ぶりの楠は「黒龍様」と呼ばれ、体の痛い部
分を枝にあて祈ると治ると伝わる。 そして、二本の木が一体化した
「和合の木」は、夫婦円満、子授けに霊験あらたかという。
     
増益山大喜寺<瑞穂区大喜町3>
真言宗の寺院でご本尊は大日如来で、弘法大師が勧請した五仏
の一体で、古来、熱田神宮の本地仏(ほんじぶつ)と言われた
秘仏である。
境内の地蔵堂に安置されている地蔵菩薩像は、付近の鎌倉街道
沿いにあったもので、「尾張名所図会」にも書かれている。 鎌倉
時代の作くといわれる。 …名古屋市設置の説明版より引用
  白龍社<瑞穂区白龍町>
戦前は、当地区は蛸ヶ池(田光ヶ池)という灌漑用池であった。
都市化によって埋め立てられる際、住民の伝説となっている池の
主・白龍大王と呼ばれる「おろち」(大蛇)の霊を鎮めるために
当社を祀った。  ・・・井戸田学区連絡協議会設置案内版
     
津賀田神社<瑞穂区津賀田町3>
仁徳天皇を祭神に天照大神を配祀する。若宮八幡あるいは
井戸田八幡とも称され、古墳の上に建てられたと伝えられる
このあたりは松原が長く続き長森とも呼ばれ、「本国神名帳」
には従三位津賀田天神と呼称されたとある。
  姫塚
写真は長福寺北側の鎌倉街道跡の鍵手の一角に位置する姫塚
である。 この塚は、師長を慕った娘の墓とも伝えられていて、
かっては姫宮が祀られていたが、今は下記場所にある
 
     
姫宮
鍵田町集会所玄関前に安置されている 
  喜覚山・長福寺<瑞穂区井戸田町>

・曹洞宗、熱田円通寺末寺。

・ご本尊は聖観世音菩薩  <瑞穂区史跡散策路より引用

     
(つるぎ)<竜泉寺東>
知多郡の武士糟谷藤太信重の墓と伝えられ、この前の古道を
馬に乗ったまま通る者は必ず落馬したという
 
  龍泉寺(りゅうせんじ)<瑞穂区井戸田町4>
行基の開山と伝えられる曹洞宗、熱田円通寺の末寺である
     
亀井水
龍泉寺表門脇の亀井水(かめいすい)は、熱田で誕生した源頼朝
の産湯に使われたといわれている
 
  鴨川稲荷<瑞穂区土市町1>
平清盛に流された太政大臣藤原師長謫居跡(ふじわらもろなが
たっきょあと)。 師長は琵琶の名手で地元井戸田村の村長の娘
との悲恋物語もある